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最高裁判所大法廷 昭和45年(あ)23号 判決 1972年11月22日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人坂井尚美の上告趣意一ないし五について。

所論は、要するに、小売商業調整特別措置法(以下「本法」という。)三条一項、同法施行令一条、二条は、小売市場の開設経営を都道府県知事の許可にかからしめ、営業の自由を不当に制限するものであるから、憲法二二条一項に違反するというのである。

本法三条一項は、政令で指定する市の区域内の建物については、都道府県知事の許可を受けた者でなければ、小売市場(一の建物であつて、十以上の小売商――その全部又は一部が政令で定める物品を販売する場合に限る。――の店舗の用に供されるものをいう。)とするため、その建物の全部又は一部をその店舗の用に供する小売商に貸し付け、又は譲り渡してはならないと定め、これを受けて、同法施行令一条および別表一は「政令で指定する市」を定め、同法施行令二条および別表二は「政令で定める物品」として、野菜、生鮮魚介類を指定している。そして、本法五条は、右許可申請のあつた場合の許可基準として、一号ないし五号の不許可事由を列記し、本法二二条一号は、本法三条一項の規定に違反した者につき罰則を設けている。このように、本法所定の市の区域内で、本法所定の形態の小売市場を開設経営しようとする者は、本法所定の許可を受けることを要するものとし、かつ、本法五条各号に掲げる事由がある場合には、右許可をしない建前になつているから、これらの規定が小売市場の開設経営をしようとする者の自由を規制し、その営業の自由を制限するものであることは、所論のとおりである。

そこで、右の営業の自由に対する制限が憲法二二条一項に牴触するかどうかについて考察することとする。

憲法二二条一項は、国民の基本的人権の一つとして、職業選択の自由を保障しており、そこで職業選択の自由を保障するというなかには、広く一般に、いわゆる営業の自由を保障する趣旨を包含しているものと解すべきであり、ひいては、憲法が、個人の自由な経済活動を基調とする経済体制を一応予定しているものということができる。しかし、憲法は、個人の経済活動につき、その絶対かつ無制限の自由を保障する趣旨ではなく、各人は、「公共の福祉に反しない限り」において、その自由を享有することができるにとどまり、公共の福祉の要請に基づき、その自由に制限が加えられることのあることは、右条項自体の明示するところである。

おもうに、右条項に基づく個人の経済活動に対する法的規制は、個人の自由な経済活動からもたらされる諸々の弊害が社会公共の安全と秩序の維持の見地から看過することができないような場合に、消極的に、かような弊害を除去ないし緩和するために必要かつ合理的な規制である限りにおいて許されるべきことはいうまでもない。のみならず、憲法の他の条項をあわせ考察すると、憲法は、全体として、福祉国家的理想のもとに、社会経済の均衡のとれた調和的発展を企図しており、その見地から、すべての国民にいわゆる生存権を保障し、その一環として、国民の勤労権を保障する等、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を要請していることは明らかである。このような点を総合的に考察すると、憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定しているものということができ、個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由等に関する場合と異なつて、右社会経済政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定し、かつ、許容するところと解するのが相当であり、国は、積極的に、国民経済の健全な発達と国民生活の安定を期し、もつて社会経済全体の均衡のとれた調和的発展を図るために、立法により、個人の経済活動に対し、一定の規制措置を講ずることも、それが右目的達成のために必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、許されるべきであつて、決して、憲法の禁ずるところではないと解すべきである。もつとも、個人の経済活動に対する法的規制は、決して無制限に許されるべきものではなく、その規制の対象、手段、態様等においても、自ら一定の限界が存するものと解するが相当である。

ところで、社会経済の分野において、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、どのような対象について、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかはない。というのは、法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたつては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であつて、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関であるというべきであるからである。したがつて、右に述べたような個人の経済活動に対する法的規制措置については、立法府の政策的技術的な裁量に委ねるほかはなく、裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、本法は、立法当時における中小企業保護政策の一環として成立したものであり、本件所定の小売市場を許可規制の対象としているのは、小売商が国民のなかに占める数と国民経済における役割とに鑑み、本法一条の立法目的が示すとおり、経済的基盤の弱い小売商の事業活動の機会を適正に確保し、かつ、小売商の正常な秩序を阻害する要因を除去する必要があるとの判断のもとに、その一方策として、小売市場の乱設に伴う小売商相互間の過当競争によつて招来されるであろう小売商の共倒れから小売商を保護するためにとられた措置であると認められ、一般消費者の利益を犠牲にして、小売商に対し積極的に流通市場における独占的利益を付与するためのものでないことが明らかである。しかも、本法は、その所定形態の小売市場のみを規制の対象としているにすぎないのであつて、小売市場内の店舗のなかに政令で指定する野菜、生鮮魚介類を販売する店舗が含まれない場合とか、所定の小売市場の形態をとらないで右政令指定物品を販売する店舗の貸与等をする場合には、これを本法の規制対象から除外するなど、過当競争による弊害が特に顕著と認められる場合についてのみ、これを規制する趣旨であることが窺われる。これらの諸点からみると、本法所定の小売市場の許可規制は、国が社会経済の調和的発展を企図するという観点から中小企業保護政策の一方策としてとつた措置ということができ、その目的において、一応の合理性を認めることができないわけではなく、また、その規制の手段・態様においても、それが著しく不合理であることが明白であるとは認められない。そうすると、本法三条一項、同法施行令一条、二条所定の小売市場の許可規制が憲法二二条一項に違反するものとすることができないことは明らかであつて、結局、これと同趣旨に出た原判決は相当であり、論旨は理由がない。

なお、所論は、本法五条一号に基づく大阪府小売市場許可基準内規(一)も憲法二二条一項に違反すると主張するが、右内規は、それ自体、法的拘束力を有するものではなく、単に本法三条一項に基づく許可申請にかかる許可行政の運用基準を定めたものにすぎず、その当否は、具体的な不許可処分の適否を通じ争えば足り、しかも、記録上、被告人らが右許可申請をした形跡は窺えないのであるから、被告人らが本件で右内規の一般的合憲性を争うことは許されず、この点に関する違憲の主張は、上告適法の理由にあたらない。

同上告趣意六について。

所論は、本法三条一項、同法施行令一条が指定都市の小売市場のみを規制の対象としているのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。

しかし、本法三条一項、同法施行令一条および別表一がその指定する都市の小売市場を規制の対象としたのは、小売市場の当該地域社会において果たす役割、当該地域における小売市場乱設の傾向等を勘案し、本法の上記目的を達するために必要な限度で規制対象都市を限定したものであつて、その判断が著しく合理性を欠くことが明白であるとはいえないから、その結果として、小売市場を開設しようとする者の間に、地域によつて規制を受ける者と受けない者との差異が生じたとしても、そのことを理由として憲法一四条に違反するものとすることはできない。論旨は理由がない。

次に、所論は、本法三条一項が十店舗未満の小売市場およびスーパーマーケットを規制の対象としていないのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。

しかし、本法所定の小売市場以外の小売市場を規制の対象とするかどうか、スーパーマーケットを規制の対象とするかどうかは、いずれも立法政策の問題であつて、これらを規制の対象としないからといつて、そのために本法の規制が憲法一四条に違反することになるわけではない。論旨は理由がない。

同上告趣意七について。

所論は、本法所定の小売市場の許可規制が憲法二五条一項に違反すると主張する。

しかし、右許可規制のために国民の健康で文化的な最低限度の生活に具体的に特段の影響を及ぼしたという事実は、本件記録上もこれを認めることができないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、上告適法の理由にあたらない。

よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(石田和外 田中二郎 岩田誠 下村三郎 大隅健一郎 村上朝一 関根小郷 藤林益三 岡原昌男 小川信雄 下田武三 岸盛一 天野武一 坂本吉勝)

弁護人坂井尚美の上告趣意

原判決には、あえて違憲、無効の法令を滴用した誤りがあり、且つ、その判決理由中で説示する憲法の解釈適用も不当である点で「憲法の解釈に誤があること」明らかである(刑訴四百五条第一号)。以下順次その理由を述べる。

一、まず、小売商業調整特別措置法(以下本法という)第三条第一項、同施行令第一条、第二条及び本法第五条第一号に基づく大阪府小売市場許可基準内規(以下本内規という)(一)は、憲法第二十二条第一項(職業選択の自由)に違反する違憲の法規であつて、無効である。この点につき、原判決は、合憲との見地から縷々述べているが、到底吾人の納得し得るものではない。

(1) 本法第三条第一項によれば、政令で指定する市の区域内の建物については、都道府県知事の許可を受けた者でなければ小売市場とするためその建物の全部又は一部をその店舗の用に供する小売商に貸し付け又は譲り渡してはならない、とされ所謂許可主義を採つている。

(2) そして、現在、右指定市とは、大阪市をはじめ、大阪府の衛星都市二十五市を含む全国で合計四十二市のみを指すとされている(本法施行令第一条別表第一)。

(3) 又、その小売市場とは、一の建物であつて、その全部又は一部が野菜、生鮮魚介類を販売する十以上の小売商だとされている(本法施行令第二条別表第二)。

(4) 更に、不許可の場合の一として規定される本法第五条第一号に基づく本内規(一)(1)によれば、新設せんとする小売市場から最も近い小売市場へ至るために通常利用される道路の距離のうち最も短いものが七〇〇メートル未満である場合は許可されない、とする距離制限が設けられている。

然しながら右(1)ないし(4)の規整は、いずれもその積極的根拠を欠き、自由競争を基調とする現在のわが国の経済体制に背反するか、仮に社会政策上何らかの規制が必要であるとしても、明らかにその限度を逸脱するものであつて、職業の選択、営業の自由を侵害して、既存業者の独占的利潤追及に奉仕する以外の何ものでもない。

なるほど、職業選択の自由も「公共の福祉に反しない限り」認められるのではあるが、右各規制は、いずれも憲法の理念とは本質的に異なるものと云わねばならない。

即ち、本法の目的が「小売商の事業活動の機会を適正に確保し、及び小売商業の正常な秩序を阻害する要因を除去し、もつて国民経済の健全な発展に寄与すること」にあり(本法第一条)、又「当該小売市場が開設されることにより、当該小売市場内の小売商と周辺の小売市場内の小売商との競争が過度に行われることとなりそのため中小小売商の経営が著しく不安定となるおそれがあること」が不許可事由の典型の一として挙げられ(本法第五条第一号)、これに基づき前記距離制限が設けられているのであるが、およそ本法は、既存小売市場経営者並びにその小売業者を保護するため、新規開業者の閉め出しを図ることのみを念頭におき、その利用者たる消費者ひいては一般国民側の利益を無視した既存業者保護立法にしか過ぎないことは本法の審議経過から見ても明らかであり、従つて、公共の福祉とはおよそ縁違いと云わざるを得ない。

二、この点につき、原判決は、「営業の自由といつても絶対無制限のものではなく、公共の福祉からする合理的な制限には服するものと解せられるところ、資本主義経済の高度化、複雑化に伴い前記のような予定調和が図式どおり行なわれ難い場合があり、また仮りに予定調和がもたらされるとしても、予定調和の過程において自由競争によつて生ずる著るしい弊害が社会公共の立場から看過できない場合が生ずることも既に明らかであつて、そのような場合にはかかる自由競争を制限しその弊害を除去ないし緩和することが公共の福祉に副うもの」とされるが、その趣旨不明な「予定調和」そのものが憲法が予想する公共の福祉とは到底考えられない。公共の福祉による制約は、より普遍的国民的規模から見て弊害を生じる場合に限られるべきであり、単なる業者間の「予定調和」は、わが国の経済体制の下では、自由競争によつてそのバランスがとられることが期待されているものと理解されるべきである。

三、周知の如く、本件と類似する公衆浴場法による許可主義並びにこれに基づく福岡県条例の距離制限の規定が、職業選択の自由に牴触するか否かにつき、すでに最高裁判例が存する(例えば最判昭和三〇年一月二六日刑集九巻一号八九頁以下)けれども、その合憲判決にも拘らず、多数の学説は一致してこれに反対している(例えば宮沢「日本国憲法コンメンタール」二五二頁以下。同法律学全集憲法Ⅱ三八〇頁以下。佐藤功「憲法」(ポケット注釈全書)一六五頁以下。その他、成田頼明・続判例百選(ジュリスト臨時増刊号)一二二頁以下。覚道豊治・憲法の判例(ジュリスト増刊)七一頁以下。深瀬忠一・行政判例百選(ジュリスト増刊)六〇頁以下等掲載の文献)。

その反対理由の最大公約数としては、「同じ営業だといつても、所謂小企業・自由営業と独占資本的大企業とでは類型的に区別される必要があり」「公衆浴場経営は薬局、医院、理髪、食料品店等とひとしく自由営業の類型に属するものであり、それに対する統制は、職種の特性に応ずる警察許可的な最少限度の制限を課するにとどむべきだ」(前掲深瀬論文)に尽きるが、まさに正論と云う外ない。

これを本法にそくして考えれば、それが単に業者間の「過当競争防止」のみがねらいなのであつてみれば(本法第一条の目的御参照)、その許可主義ないし距離制限は、いずれも公共の福祉による正当な規制の理念とは合致せず、違憲と断ぜざるを得ない。

原判決は、本法が許可主義を採つた立法理由として、右「過当競争の防止」の外に、「市場業者による過大な賃料等の徴収防止」と「経済的弱者である市場小売商の保護」を挙げているが、いずれも的はずれないし社会の現実を無視した論旨である。

過大賃料等の徴収防止は、何もわざわざ許可主義をとらなくても、それ自体違反者に罰則を科することで十分規制可能であり、すでに同趣旨の法律が他にも存在する(例えば地代家賃統制令の如きがそれである)。

又、市場小売商の保護といつてみても、後述の如く、大資本による大量なスーパー市場の出現により、すでに既存市場小売商の営業は揺り動かされている反面、資本力を持たない零細な新設小売商人は新たな営業を持つ機会を失わしめられており、しかも、それは独占価格の維持による一般消費者の犠牲の上に成り立つているのが現実の姿である。

四、仮に一歩を譲り過当競争による共倒れ防止も公共の福祉の一つだとしても、かかる弊害は具体的現実的に発生した後に事後抑制をはかれば十分であり、あらかじめその弊害が実証されない段階で、事前に先手を打つてかかる規制措置を採ることは許されない。本法の規制により、直接打撃を受けるのが一般消費者であるだけに尚更である。

事前の段階で、原判決説示の如く、単なる「共倒れの虞」「不正な営業の虞」「衛生安全基準が維持されなくなる虞」「倒産の虞」などの推測により営業の自由を制限することは、憲法に定める職業選択の自由の大原則につき、みだりに原則と例外とを逆転せしめるものであり、違憲の論理と断ぜざるを得ない。

若し仮に、公共の福祉の美名の下にかかる事前規制が許されるとすれば、およそ規制の対象とならない業種は世上存在しない。

理髪業、美容業、クリーニング業、飲食業、旅館業等々すべて然りである。薬局業に関しては、周知の如く、昭和三十八年の薬事法の改正で公衆浴場の場合と同様に許可制が採られることになつたが、これも何ら公共の福祉による制約とは無関係であり、本法等と並んで既存業者の圧力に屈した、圧力立法であることは公知の事実である。

しかも、本法の場合、右各諸法と異なり、ことは人間の生存に不可欠な「食」につながる問題である。既存業者の独占的既得権を守るため、消費者たる一般国民の「食品」に関する購買選択の自由が著しく制約、侵害されてはたまらない。

その意味で、本法による規制は、単に新規開業者のしめ出しに止まらず、一般国民の食欲の道をも閉ざすものという外ない。

五、尚、ここで留意さるべきは、近時、出現乱立する所謂スーパーマーケットと本法との関係である。

前述の如く、本法は、小売商に「貸し付け又は譲り渡す」場合にのみ許可を必要とする規制の仕方をしているため、奇妙なことに、スーパーマーケットすなわちセルフサービスをたてまえにして現金で売る単独経営店(新潮国語辞典一〇三一頁)の場合は、本法に牴触しないことになる。更に、所轄監督官庁担当者の言(一審並びに原審における富岡証言)を俟つまでもなく各小売業者が集つて共同で市場を建てて共有したり、組合形態で経営する場合も勿論、本法の規制外である。

従つて、かかるスーパー、市場等は既存の小売市場に隣接して誕生しても、何ら違法ではなくなり、現にさような状態が全国に出現している。したがつて、過当競争防止が本法の唯一の立法趣旨だとすれば、この点においてまさにザル法化し、空洞化しているといつても過言でない。

よつて、現状において本法は、正しくは、既存の小売市場経営者並びに小売業者の保護にあるのではなく、「新設の小売市場経営者」並びに「新規開業の零細な小売業者」のみを閉め出すものであり、資本力のある新市場経営者には何らの痛痒も感じない矛盾だらけの悪法という外ない(原審での第五号証御参照)。

この点について、原判決は、本法が「市場業者の過大賃料の徴収等を禁ずる方法で小売商間の過当競争を防止しようとするもので、そのような虞のない業態の小売商活動に対しては強いて同法による規制を加える必要はない」と解し、スーパーは論外だ、としているが、かかる見解は、本来の立法趣旨たる「過当競争防止」「市場小売商の保護」を無視した暴論であり、若しかような見解が正しいとすれば、本法はすでにその目的から遊離して、一応の使命を終り、死滅化していると云えば極論に過ぎるであろうか。

六、次に、本法第三条第一項、同施行令第一条は、憲法第十四条(法の下の平等)に違反する違憲の法規である。

(1) 前述の如く、本法の規制の対象とされているのは、大阪府の衛星都市二十五市の外は全国で僅か十七市を数えるのみであり、(この点につき、原判決は、大阪府下の市全部が指定市の如く説示するのが、これは明らかに誤りであり、同じ大阪府下でも摂津市、高石市、藤井寺市の三市は指定市に入つていない)、何故か、東京都や、六大都市の近郊都市、その他人口の急増するその他の市は、これに入れられていない。

この点につき、原判決では、到頭最後まで納得のいく理由は見出せなかつた。かかる指定市の分布状況を見ても、本法が主として、大阪府下の既存小売市場経営者並びに小売業者の政治的圧力によつて制定された、と世上喧伝されるのも無理からぬことであろう。

(2) 更に、何故、その全部又は一部が野菜、生鮮魚介類を販売する十以上の小売商の店舗に供されるものだけを「小売市場」として概念づけたのかも、全く趣意不明である。

特に野菜、生鮮魚介類の販売業者のみを閉め出し、又、九以下の小売商の店舗なら規制の対象とならない等の差別理由は何処にあるのだろうか。前記スーパー、市場が既存市場に隣接して右規制にかかる経営をどんどん続けている現状を見るにつけても、原判決の説示にも拘らず、合点のいかぬことばかりである。

(3) なるほど、法の下の平等といえども、それが機械的平等を意味するものではなく、そこに合理的な差別理由があれば何らこれに牴触しないだろうけれども、右の如く、本法における指定市の定め方や、販売業種、店舗数等の規制の仕方には、いかなる見地からも、吾人の首肯するに足る差別すべき合理的な根拠が見当らない。

七、更に、前記本法各条項並びに本内規は、憲法第二十五条(国民の生存権、国の社会保障的義務)にも違反する違憲の法規である。

(1) これまで屡々触れた如く、大阪府の場合は、既存の小売市場から七〇〇メートル未満の場合は新設市場は許可されない。

この点につき、監督係官の証言によれば、その根拠たるや、昭和三十四年当時の大阪市東成区の人口密度を基準としているとされるのであるが、約十年を経過した今日において尚そのまま維持されている点、あまりにも消費者たる一般庶民を無視した、時代錯誤の法規という外ない。

本法があるため、大阪市の場合は昭和三十五年に生野区に一ケ所公設市場が作られたのを最後に、今日まで新設はゼロであり、又、すでに約二百八十の私設小売市場がある大阪市内では全然新設されず、そのため、本法が実情に合わないとして、大阪市が政府の物価対策に反省を求めて、消費者優先のため、本法改正運動を起していることが報じられている(原審における第六号証)。

近時の都市近郊のアパート、文化住宅、公団住宅等の急激な出現増加による人口密度の驚異的増加並びに戦後の副食の質量両面における需要の増大は、説明を要しない顕著な事実であり、加えて、最近の物価高は家庭の主婦が頭を痛めるところでもあり、本法並びにこれを合憲とする原判決は、一般国民が如何に日々生鮮食料品の廉価な購入に心をくだいているかを忘れた法規であり判決であると云わねばならない。

国民の食生活は、刻々侵害を受けているのが真実の姿である。

(2) ちなみに、昭和四十三年十二月十二日総理府統計局が発表した全国物価統計調査によれば、生鮮魚介類は大都市と町村では18.4パーセント、塩干魚介、肉、加工食品は十パーセント前後大都市の方が高いとされており(原審における第八号証)、その意味では、大都市ほど小売市場を自由競争させる必要があるのに、本法の規制はむしろその逆であり、本法の存在は、生存権保障の理念に大きく背反している。

本法による規制は、既存の業者の独占的利益維持には役立つているが、一般国民の側の最低限度の文化生活を営む権利は日々刻々破壊されているといつても過言ではない。

八、以上要するに、本法並びにこれを合憲なりとする原判決は、前記憲法諸条項に違反し且つ判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、速やかに原判決を破棄されるよう希求するしだいである。

以上

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